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旭川家庭裁判所 昭和40年(少)1568号 決定 1966年4月08日

〔解説〕裁判例87は、アメリカ合衆国軍隊の構成員の家族である少年が犯した業務上過失致死事件に関する事案である。稚内警察署はアメリカ軍から書面で右事件の通知を受けたが、この事件に「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(以下、単に行政協定という)の適用があるかどうかの問題を看過し、その後も行政協定に基づく裁判権行使の手続がなされないまま、事件は家庭裁判所に送致された。本決定は、この点を取り上げわが国の少年審判権の存否について判断を示した。

以下、この事案の主たる問題点や行政協定の手続およびその根拠法規について説明したいと思う。

(一) 少年保護事件について、行政協定一七条の適用があるかどうかについて。

行政協定一七条一項は、「本条の規定に従うことを条件として、(a) 合衆国の軍当局は、合衆国の軍法に服するすべての者に対し、合衆国の法令により与えられたすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。

(b) 日本国の当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族に対し、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によつて罰することができるものについて、裁判権を有する。」

と規定する。

(a)項は合衆国の軍当局が刑事裁判権のほか懲戒裁判権を行使することができるものであることを明らかにしているのに対し、(b)項は単に「裁判権」と規定しているので、日本国の当局が合衆国軍隊の構成員、軍属およびそれらの家族に対して有する裁判権は「刑事裁判権」に限られるとし、家庭裁判所が行なう保護処分は、刑事処分でないことを理由にこれに行政協定一七条の適用がないと解する見解がある(注1)。

しかし、(a)項が「刑事および懲戒の裁判権」と規定し、(b)項が単に「裁判権」と規定したのは、(a)項の適用対象となる行為は犯罪に限らず、懲戒事由となる行為をも含むのに対し、(b)項の適用対象となる行為は、虚犯・触法行為を含まず、犯罪行為に限る趣旨をあらわしたものと解することができ、したがって文理上から(b)項のいう、犯罪として法令によつて罰すことができるものについての「裁判権」を刑事裁判権に限ると解すべき必然性はないと解すこともできよう。他面、少年審判の実質に着目してみると、少年審判は家庭裁判所が少年の非行(犯罪が主たる部分)を要件として、再犯防止の目的から強制的内容を伴う保護処分に付するかどうかを審査する手続であり、少年の犯罪事件につき刑事裁判に代替する裁判であるから、犯罪を原因とする少年審判は行政協定一七条にいう「裁判権」に含まれると解すことも可能であろう。本決定は、少年審判の実質を考慮して、少年保護事件にも行政協定一七条の適用があるものと解している。

なお、少年審判権が行政協定一七条の適用外にあると解した場合に、家庭裁判所が合衆国軍隊の構成員、軍属またはそれらの家族に対し少年審判権を有するかどうかについて積極説と消極説とが考えられうる(注2)。

(二) 少年保護事件に行政協定一七条の適用があるとした場合、競合する裁判権行使の順位とその手続および手続懈怠の効果について。

合衆国の軍当局が、刑事および懲戒の裁判権を日本国において行使できる「合衆国の軍法に服する者」の範囲は、合衆国統一軍法(注3)(一九五〇・五・五第八一議会法律第五〇六号)第二条および第三条に掲げられた者とされ(「日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の行政協定第一七条を改正する議定書に関する合意された公式議事録一九五三・九・二九」(以下単に公式議事録という(注4))に基づく通知)、それによると、陸、海、空軍の構成員、軍属およびそれらの家族等が広く含まれることになる。なお、行政協定においていう、合衆国軍隊の構成員および軍属の家族の範囲については、同協定一条(c)項に明記されているとおりである。

合衆国軍隊および軍属の家族が日本国の法令および合衆国の法令によつて罰することのできる犯罪を犯した場合は、裁判権の競合が生ずる一つの場合であり、行政協定一七条三項(b)によると、この場合には、日本国の当局が裁判権を行使する第一次の権利を有する。

第一次の権利の不行使および放棄について、同項(c)に基づき、公式議事録は、「裁判権を行使する第一次の権利の放棄に関する相互の手続は、合同委員会が決定するものとする。」とし、その実施に関し日米合同委員会で承認された「裁判権分科委員会刑事部会における行政協定に関する事項、一九五三・一〇・二八)」第四〇項は(注5)、その手続の詳細を定めている。すなわち、

「40 日本の当局において裁判権を行使する第一次の権利を有する犯罪が合衆国軍隊の構成員、軍属又はそれらの家族によつて犯された旨の通知が合衆国の当局又は日本国の当局からそれぞれ他方の国の当局(注6)に対し書面で行なわれた場合には、日本国は法務省を通じ被疑者が所属する陸軍、海軍又は空軍の在日司令部の法務部に対し当該事件につき起訴することにより裁判権を行使するか否かを通告するものとする。左に揚げる期間内に、当該法務部が、右の通告を受けないか、又は日本国からの起訴を行わない旨の通告を受けた場合には、合衆国はかかる事件につき裁判権を行使することができる。かかる事件につき起訴することによつて裁判権を行使する旨の通告を日本国が行うべき期間は左の通りとする。

A 日本国の法令によつて六月以下の懲役以下の刑にあたる罪及び左の各号に揚げる罪について……当該犯罪についての最初の通知の日の翌日から起算して五日以内(中略)

B 右に揚げた犯罪を除き日本国の法令によつて六月の懲役を超える刑にあたる罪について……当該犯罪についての最初の通知の日の翌日から起算して二十日以内

右の期間内に、法務省が、当該法務部に対し特別の理由により日本国が裁判権を行使する第一次の権利を有する犯罪につき起訴することにより裁判権を行使する決定を留保することを欲する旨通知した場合には、合衆国は、五日以内に通告すべき事件に該当するものについては更に五日、二十日以内に通告すべき事件に該当するものについては更に十日を経過するまで、または、日本国から右期間の経過をまたずして当該事件につき起訴を行わない旨の通告を受けるまで裁判権を行使しないものとする。<以下省略>

右の合意事項によれば、犯罪の通知の日の翌日から起算して所定の期間に第一次の裁判権を行使するか否かの通告をしなかつた場合には、権利国は裁判権を行使する第一次の権利を失い(注7)、相手国が裁判権を行使することができることになる。本決定も右のように解し、米軍当局から裁判権の不行使または放棄の通告がないかぎり、日本国は本件について裁判権を行使できないものと解し、審判不開始決定をした。

注1 津田実、古川健次郎「外国軍隊に対する刑事裁判権」一二頁 著者は、少年審判権を内容的に分けて、保護処分に付する審判権のみ行政協定一七条の適用外にあると解するようにも見受けられるが、この点必ずしも明らかでない。保護処分か刑事処分かの判断は、表裏の関係にあることを強調すれば、審判権を処分内容別に分けて考えること自体には疑問もあろう。

2 右同書一二頁 著者は、少なくとも保護処分については消極説の立場に立つ。

3 右同書二四七頁以下に合衆国統一軍法の抄訳がある。

4 右同書一五一頁以下所収

5 最高裁事務総局、刑事裁判資料八七号五〇頁以下所収

6 「当局」とはどの機関を指すかについて、昭和二八・一〇・二八最高検日記公安一秘第一〇五号検事総長通達「米国駐留軍関係者に対する裁判権拡張に伴う事件処理上の注意事項」および(昭和年二八・一一・六最高検日記公安一秘第一二七号次長検事通達)「米国駐留軍関係者並びに国連軍関係者の犯罪事件の処理に関する件依命通牒」によると、犯罪発生の通知は、日本国側の司法警察職員または検察官より合衆国側の米軍駐留軍関係機関(またはその逆)に対してなすものとしている。

7 右次長検事通達は、検察官が不知の間に日本側の裁判権行使の第一次の権利が消滅することがないよう簡易事件(昭和年二八・一〇・二八最高検日記公安一秘第一〇七号検事総長通達)「米国駐留軍関係者の犯罪事件の送致手続の特例に関する件」については急速な事件送致を励行させるなど、また右以外の通常事件については警察からできる限りすみやかに犯罪発生通知の写を検察庁に送付する等緊密な連絡をとるなど指示しているが、本件(右にいう通常事件にあたる)で認定された事実によると、警察が犯罪発生の通知があつたことについて検察庁に連絡することを怠つた点に問題があつた。

少年 E・S(西暦一九四七・一二・八生

主文

この事件について審判を開始しない。

理由

一  本件送致書記載の審判に付すべき事由は、

「少年は、第二種原動機付自転車の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年七月○○日午後二時五分頃、第二種原動機付自転車(ホンダ九〇)を運転し、時速約四〇キロメートルで稚内市○○○×丁目付近道路(巾員約九、三メートル)を北進し、自車前方を同方向に進行中の車輌四台を追越すべく時速約六〇キロメートルに加速して右車輛の右側に進出したが、この際前方を注視しなければならない業務上の注意義務を怠り、右車輛の追越しのみに注意を奪われ前方不注視の状態で漫然進行した過失により、折柄○島○ル(七八才)が前方の横断歩道を右方より左方に向け歩行し同歩道の中央付近まで進出して来ているのを約二一メートル手前に接近して初めて発見し、急ブレーキをかけたがおよばず、自車前部を同女に衝突させて同女を路上に転倒せしめ、よつて同女に脳挫傷等の重傷を負わせ、同日午後四時五五分頃、同市△△△○丁目市立○○病院において、同女をして右傷害により死亡するに至らしめたものである。」

というにある。

二  本件は少年法に基づく少年保護事件であつて、原則として保護処分を終局目的としてその要否を判断するわけであるから、日米安全保障条約六条に基づく施設および区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下日米安保協定という)にいう刑事の裁判に該当せず、少くとも保護処分に付するについては我国裁判所は、日米安保協定一七条に制限されるものではないとの見解もないわけではない。しかしながら保護処分も犯罪を原因として、犯罪の再発を防止する目的で、強制的処分を行う点で、刑事の裁判と極めて類似した点が存するわけであるから、少年保護手続についても日米安保協定一七条が適用されるものと解するのが相当である。

三  そこで憲兵隊長ダニエル、ハープスト作成の昭和四〇年一一月一〇日付出生証明書および少年の検察官左津前武に対する同年八月一八日付供述調書によれば、少年は昭和二二年一二月八日L・Sの子としてアメリカ合衆国ミシシッピ州ガルフポートにおいて生れ、その父L・Sは、アメリカ合衆国空軍○○空軍基地第○○○○保安大隊に勤務する空軍曹長であつて、少年はこの父に随伴され同基地内に居住しているものであることが認められる。

従つて少年はアメリカ合衆国統一軍法二条一一号により同法の適用を受けるものであると解されるから、日米安保協定一七条一aにより同協定一七条の規定に従うことを条件としてアメリカ合衆国軍当局も日本国において少年に対し刑事の裁判を行う権利を有していることになる。

四  しかし、少年の検察官左津前武に対する供述調書によれば、少年は高校生であつて、本件事故の際車輛販売店より自宅に帰る途中に発生したものでこの際合衆国の公務を行つていたものではなく、また○戸○○子の司法巡査吉崎幸三に対する供述調書によれば、本件被害者○島○ルは日本人であることが認められるから、日米安保協定一七条三(b) (a)、一、二により、本件については日本国の当局が本来裁判権を行使する第一次の権利を有していることになる。

五  昭和三五年一月一九日合意署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約六条に基づく施設および区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定についての合意された議事録(昭和三五年六月二三日外務省告示五二号)によると、「裁判権を行使する第一次の権利の放棄に関する相互の手続は、合同委員会が決定するものとする。」とされており、昭和二八年一〇月二八日日米合同委員会で承認された裁判権分科委員会刑事部会における合意事項四〇はつぎのとおりになつている。

「日本国の当局において裁判権を行使する第一次の権利を有する犯罪が合衆国軍隊の構成員、軍属又はそれらの家族によつて犯された旨の通知が合衆国の当局または日本国の当局からそれぞれ他方の国の当局に対し書面で行われた場合には日本国は法務省を通じ被疑者が所属する陸軍・海軍または空軍の在日司令部の法務部に対し当該事件につき起訴することにより裁判権を行使するか否かを通告するものとする。左に掲げる期間内に当該法務部が右の通告を受けないか、または日本国からの起訴を行わない旨の通知を受けた場合には、合衆国はかかる事件につき裁判権を行使することができる。かかる事件につき起訴することによつて裁判権を行使する旨の通告を日本国が行うべき期間は左のとおりとする。

B、右に掲げた犯罪を除き日本国の法令によつて六月の懲役を超える刑にあたる罪について…当該犯罪についての最初の通知の日の翌日から起算して二〇日以内

右の期間内に法務省が当該法務部に対し特別の理由により日本国が裁判権を行使する第一次の権利を有する犯罪につき起訴することにより裁判権を行使する決定を留保することを欲する旨通知した場合には合衆国は五日以前に通告すべき事件については更に五日、二〇日以内に通告すべき事件に該当するものについては更に一〇日を経過するまで、または、日本国から右期間の経過をまたずして当該事件につき起訴を行わない旨の通知を受けるまで裁判権を行使しないものとする。」

六  参考人中村志朗(稚内警察署長)の当家庭裁判所に対する陳述、左津前武(旭川地方検察庁検事)昭和四一年四月七日付犯罪通知書についての答申書、一九六五年七月二七日付ダニエル、ハープスト名義英文書面写、旭川地方検察庁次席検事の昭和四〇年九月六日付米軍からの犯罪通知書についての調査についてと題する書面写および本件捜査記録によれば、昭和四〇年七月二七日前記審判に付すべき事由記載のような交通事故が発生したので稚内警察署において捜査を開始したところ、同月三一日アメリカ空軍より英文の書面が届けられ、同署長はこれを受領したこと、この書面はアメリカ米軍憲兵隊長ダニエル、ハープスト署名のものであつて、前記事故の内容等を記載したあとに、この通知は日米合同委員会で承認された刑事部会合意事項第四〇項にもとづく書面による通知であつて、本件が起訴されないよう求めるとの記載があること、同署ではこの書面が重要なものであるとは思わず、このような書面を受領したことを検察庁、法務省に通知しなかつたので、その通知の日の翌日から起算して二〇日以内に我国法務省より合衆国空軍の在日司令部に対し起訴することにより裁判権を行使する旨または起訴することにより裁判権を行使する決定を留保することを欲する旨の通知はなされなかつたことが認められる。

七  そうすると本件については、我国が本来有していた第一次裁判権を失い、合衆国軍当局がこれを有することになつたものと解されるから、現在我国の家庭裁判所は本件につき審判をなすことができないものと言うべきである。もつともダニエル、ハープストの旭川地方検察庁検事正に対する書面写によれば、米軍当局は本件につき少年に対し基地司令官による口頭の訓戒および運転免許の停止を行つたのみで、刑事懲戒の裁判を行つていないことがうかがわれるが、我国がアメリカ合衆国の権限ある代表者より、米軍当局がその取得した第一次裁判権を行使せずまたは放棄する旨の通知をうけない限り、日本国としてはその裁判権を行使できないものと解され、かかる通知はなされていない。

八  よつて我国裁判所は本件について現在のところ、その裁判権を行使することができないものと言うべく、従つて本件については審判を開始できないから、少年法一九条一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 井関正裕)

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